アブナイ恋の捜査室 ノベル

-1日執事編- 小野瀬葵

その晩。
私がお風呂から出てくると、彼はソファで本を読んでいた。
「いいお湯でしたー」
「って、温泉じゃないのに。普通の家庭のお湯でしょ」
彼は苦笑した。
「我が家では、お風呂から上がったときには、家族にこう挨拶する習慣なんです」
「ははは。なるほど」
「小野瀬さん、何の本を読んでるんですか?」
「ん? 執事の本」
彼はそう言って、本を閉じて眼鏡をとった。
「翼。今日、執事喫茶に行きたいって言ったんだって? さっき、穂積から暴露メールが来たよ」
「うっ……」
私は言葉に詰まった。
「すみません……」
「謝ることないよ。お花とぬいぐるみに囲まれてスイーツをいっぱい食べたい……なんて女の子らしい夢でしょ」
私は恥ずかしくなってバスタオルで顔を隠した。
「もう忘れて、忘れてください~~!」
「やってあげようか」
「え?」
「執事」
「えええええ!」
私は思わず大声を出して、後ろへ下がった。
「ははは。もし、よかったら、今夜は俺が君の執事をつとめますよ。お嬢様」
「……いいの?」
そんなことをさせたら悪いけど、この上なく魅力的な申し出。
「うん」
彼は優しく微笑む。
「よ、よろしくお願いします!」
私は誘惑に耐え切れず、思わず頭を下げてしまった。
「ははは。何だ、そんなリクエストがあるなら、早く言えばいいのに」
そう言ったあと、彼はゆっくりと立ち上がって優雅にお辞儀をした。
「御役目賜り光栄です、お嬢様。本日一日執事を担当致します、小野瀬葵です。何なりと御用お申し付けください」
(な、何だろう。この身についてる感……)
パジャマ姿でなかったら、本物の執事が立っているかと思っちゃう。
「では、まず、お嬢様の髪を拭きましょう」
彼は私を手招きして、ソファに座らせた。そして、そのままタオルで髪を丁寧に拭いてくれる。
「執事ってこんなこともしてくれるんですか?」
「はい。お嬢様限定で」
「……」
「どうしたの?」 「ひとに髪を触ってもらうの、気持ちいい……」
「そういえば、お嬢様はソレがお好きですね」
(もし、小野瀬さんが執事だったら、雇いたいお嬢様がいっぱいいるだろうな)
全警視庁の女性職員の皆さま、大変申し訳ありません。
私、今、”桜田門の光源氏”を執事にしております……。
「ドライヤーもしますか?」
「あい」
すでに忘我の境地になりながら答える。
「熱かったら、おっしゃってくださいね」
彼が私が手に持っていたドライヤーをとって、コンセントにプラグを差し込む。 彼はドライヤーのスイッチを入れてから、すぐに私の髪にあてたりはしなかった。 まずは自分の手に当てて温度が熱すぎないか確かめる。
(細かい気遣い……これぞ、執事……)
そうしてから、私の髪に熱風をあて、ブラシではなく指で優しくかきわけてくれる。
「大丈夫ですか? 熱くないですか?」
「あい。もう天国からお迎えが来ちゃうくらい、極楽気分です」
「ははは。お嬢様、この程度で死なれちゃ困りますよ」
彼は声をあげて笑った。

そして、半分眠ってしまうほど気持ちがよかったドライヤーのあとは。
「ドライヤーのあとはよろしければ日頃の疲れを取る手伝いも私がさせていただければと思います」
「疲れ……?」
私は無意識に自分の足を見た。
そういえば、今日は一日歩き回ったので、ちょっとムクんでいる。
「おみ足ですか?」
「いえ、足は……」
「お疲れをそのままにしておくことはできません」
小野瀬さんが私の足を片手で捧げ持ち、事務的な調子で切り出した。
「すぐにマッサージを致しましょう」
「えっ。そんなことまで悪いですよ!」
「執事に悪いなんて遠慮は要りませんよ、お嬢様」
そのまま、私の足元に跪き、上目遣いで微笑みかけてくる。
そして、まるでとても自然なことのように持ち上げた私の膝に口付ける。
「あ、あの、なんとなく、違うモードになりそうな予感がするので、マッサージはいいです」
「お嬢様、私はどんなサービスでもいたしますが?」
「そ、そうだ。私、お風呂上りのアイスを食べないといけないんだった! 取ってこよーっと」
そう言って立ち上がりかけると、彼がすっとそれを制する。
「私が、持ってまいります。お嬢様」
(う……! か、かっこいい……!)

「本日のアイスは冷えたバニラアイス、甘いバニラアイス、乳脂肪分15%のバニラアイスからお選びいただけます」
今、小野瀬家の冷凍庫にはバニラアイスしかない。
なぜなら、私がそれしか買ってきていないからだ。
「では、ミニカップのバニラアイスで……」
「かしこまりました」
彼は手に持っていたミニカップアイスの蓋を開けた。
「駅前のコンビニから取り寄せましたが、お口にあいますかどうか」
その言い方がおかしくて、ぷっとふきだしてしまう。
「では、お嬢様、どうぞ」
彼はアイスクリームをすくったスプーンを私の口元へ差し出した。
「あの……」
「お召し上がりください」
「も、もしかして、食べさせてくれるの……?」
「執事ですから、当然です」
おおまじめに返される。
「執事はここまではしてくれないんじゃ」
「執事兼恋人の設定ですから。当然のお世話です。はい、あーん」
破壊的なくらい甘く、優しい声で囁かれる。
「……あーん……」
口を開くと、冷たさと甘さが舌の上に広がる。
「いかがですか?」
「美味しい……」
「それは、ようございました」
彼はスプーンで再びアイスをすくって、私の口元へ運んだ。
こんな素敵な執事なら、お給料を毎月100万円払ってもいい。
もちろん、それだけの財力があればの話だけど。
(今夜一晩だけとはいえ、今の私は世界で一番素敵な執事を持ったお嬢様かも)
「はい、おしまい」
カップの中が空になり、私は名残惜しさからため息をついた。
「ごめんなさい。結局、全部食べさせてもらって……」
「お嬢様、ご満足いただけましたか?」
「はい! もう、最高でした! ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、彼はミニカップとスプーンをテーブルの上においた。
「ところで、お嬢様、私、今月のお給金をまだ頂いておりません」
「えっ?」
「さっそく、お給金をお支払いただきたいのですが?」
「あの、アイス払いでいいですか? 小野瀬さんの分も買ってあるし」
「できれば、アイスよりもっと魅力的なものを食べたいのですが、いかがでしょう?」
パジャマ姿の執事が、すっと私を指差した。
「恋人は無償だけど、執事は有償。だから、ちゃんとお嬢様自身で、お支払いをしないとね」
「ええええー!!」
彼が私の上にのしかかる。
「じゃあ、いただきます」

小野瀬さんは、執事の格好をしたら、きっと本物の執事よりカッコイイね。
髪を乾かしてくれるのも上手だし、アイスも(コンビニで買ったものだけど)
美味しかったよ。
でも、ちょっと……お給金の請求が厳しいみたい……。

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