アブナイ恋の捜査室 ノベル

-1日執事編- 穂積泪

(ほっ。これでやっと、仕事に戻れる)
私が資料作成を始めようと袖をめくった瞬間、如月さんが勢いよく手を挙げた。
「はい! 先生、はい!」
「はい、如月くん」
室長がボールペンで指す。
「彼女の逮捕記録更新を記念して、ここはひとつ、執事喫茶イン捜査室をやりませんか」
「えーっ、もういいですよ! その話!」
私は慌てた。
ちょっとうれしいかもしれないけど、先輩たちにそんなことはさせられない。
「却下。執事はこんなに大勢要らない」
明智さんがばっと顔をあげる。
「クジにすればいいじゃないですかー」
「そうね。如月にしては名案だわ。ま、安上がりな企画だし、それ、やりましょうか」
室長がいつになくワルノリしてきた。
「クジ、できたよ」
小笠原さんがコヨリをみんなに差し出す。
「コヨリって、懐かしいわね」
「赤いシルシがついていたら、当たり。ほら、小野瀬さん、早く。年功序列だ。三十路優先」
「小笠原くんは俺に対してはどうしてそう強気なの?」
小野瀬さんは納得できないという顔でクジを引く。
「ははは! 小野瀬、ハズレてやんの! バーカ」
室長の罵声に小野瀬さんが渋い顔をする。
「お前は小学生か」
続いて室長が嬉々として小笠原さんの手からコヨリを引き抜く。
すると、そのコヨリの先は真っ赤だった。
「よし! アタリ!」
高く上がる室長の右手。
「うわ、もっとも執事に向いていない人が」
「はい、うるさいわよー外野ー」
「室長、ではまず、手始めにお茶を淹れてみましょうか?」
明智さんが遠慮がちに提案する。
「簡単よー」
室長は冷蔵庫を開け、麦茶ポットを取り出すと、それを私の机の上に置いた。
「どうぞ、お嬢様」
「それ、今朝、彼女が作ったヤツですよね……しかも、コップもなしで……」
明智さんは完全に呆れ顔。
「コップ? あ、はいはい」
室長は隅っこのみんなのコップ置き場から、私のマグカップを取ってきて、ズイッと差し出した。
「はい」
「……洗って持ってきましょうよ……」
「明智はいちいちうるさいわねー。分かった、お茶関係は私に向いてない。他のことにしましょう。で、お嬢様は何をして欲しい?」
突然の問いに私は焦る。
(いきなりそんなこと言われても、出てこないよ~~。泪さんが執事なんて設定、絶対向いてないし……)
「早く言わないと、何もしないわよ」
「ええ!? し、室長、ちょ、ちょっと待って下さい」
「待たない。はい、5秒以内に言いなさい。5、4、3、……」
「速い速い速い!」
「執事が5秒以内とか脅してどうするんですか……」
明智さんがため息をついた。
「これ、企画倒れだな。はい、撤収―」
小野瀬さんがパンパンと手を叩く。
「そ、そうですね。仕事に戻りましょう!」
私はホッとして、机に向き直った。
「室長にアタリが回った時点で無理がありましたね」
「同意」
全員、肩をすくめて仕事に戻っていく。
(ふう……これでようやく執事騒ぎから逃げられた……早く仕事に集中しよ)
私はファイルを取り出し、パソコンのキーボードを打ち始めた。
泪さんに執事なんて、自衛隊員にネイルアートをやらせるくらい合ってない。

その晩。
私がお風呂から出てくると、彼はソファに寝そべりながらスポーツニュースを見ていた。
「いいお湯でしたー」
「お前、いっつもそう言いながら風呂から出てくるな。家風呂なのに、なんで?」
「うちはこれがお風呂から上がったときの挨拶なんですよ」
「おいおい、相撲の結果よりサッカー優先かよ。どうなってんだよ、最近の日本の国営放送は」
彼はスポーツニュースの構成に文句をつけながら体を起こす。
「サッカーのほうが人気だからじゃないですか?」
「相撲は国技だぞ」
彼がキッと私を睨む。
どんな黒いスキャンダルにまみれようとも、相撲中継を見続ける男のプライドがそこにはあった。
「うちのお父さんみたいなことを言わないでください」
「ところで、翼。今日の執事企画は途中で頓挫して悪かったな」
「いいですよ、ぜんぜん」
「職場ではイマイチ調子が出なかった。今から、たっぷり奉仕してやるよ」
彼が笑顔になる。
悪魔の笑顔に。
「ほ、奉仕って……」
「執事ってのは、奉仕するもんだろ?」
「それは、そうなんですけど」
「なら、黙ってソファに座ってろ」
彼は私を強引にソファに座らせた。
「よし、飲み物でも出してやろう」
「あ、ありがとうございます」
なぜか身構えてしまう。
「何がいいんだ?」
「じゃあ……せっかくなので、紅茶をお願いします」
「そんな面倒くさいもん作れるか」
あっさり一刀両断。
「ミネラルウォーターなら冷蔵庫にあるんだ。あれにしろ」
「は、はい」
どすどす。
彼は大股でキッチンへ行き、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのペットボトルを出した。
「ほら」
そして、私に向かって投げてくる。
「あの、コップは……」
「じかに飲め」
「はあ……」
(ぜんぜん執事じゃない。というか、まったく普段通り……)
「よーし、次は何をして欲しい? 何でもいいから言ってみろ」
「分かりました。じゃあ……」
「よし、マッサージしてやる。それで決定だ」
「まだ何も言ってな……」
「肩を揉むくらいなら、俺でも出来るからな。ほら、ソファに寝転がれ」
「わ!」
強引にソファに寝かされ、室長の手が背中に触れる。
「お客さん、凝ってますねぇー」
「執事の設定ですよね? それじゃ、泪さんがいつも行く整体マッサージのおじさんじゃないですか」
「あーはいはい」
彼は面倒くさそうに言って、私の肩甲骨の下くらいを親指で押す。
「お嬢様、凝っていらっしゃいますね。どうですか、気持ちいいですか?」
「とても気持ち良いです」
力が適度に強いし、ツボをしっかり押さえていて、これはかなり上手いかも。
「マッサージは自信ありますよ、お嬢様」
「ホント、すごく上手ですよ」
「お、ここも凝ってる」
(本当に気持ち良いな。このまま寝ちゃいそう)
「しかし、あれでございますね、お嬢様。こうして肩揉んでると、イタズラしたくなりますね」
「イタズラしたら、解雇です」
びしっと言うと、彼が舌打ちをする。
「厳しいな、おい」
(お茶が淹れられなくても、部屋が片付けられなくても、これだけマッサージが上手なら、いい執事かも)
肩と背中を念入りにマッサージしてもらいながら、私は満足のため息をついた。
「ところで、お嬢様」
「はい」
「私、他にも得意なことがございまして、そちらでもお嬢様にご奉仕できるのですが」
「得意なこと? 何ですか?」
「試してみたいですか?」
優しい声で問われる。
(いったい何だろう? 窓ふきでもしてくれるのかな?)
少し疑問に思いつつも、マッサージで気持ちも体も緩んでいた私は素直に頷いた。
「はい」
「はい、決定! 今、『はい』って言った!」
「あっ!」
自分がおろかなことを口走ったと気付いた瞬間、体を持ち上げられていた。
「お嬢様、それでは、私が、ベッドで、フルコースにてご奉仕いたします」
「ちょっ……! それ、執事じゃないですよ!」
「お嬢様。私、他にご奉仕できることがないので、せめて、体で! ご奉仕させていただきます」
彼はニヤリと笑って、寝室のドアを蹴り開けた。
「そっちの体はだめー!」
「うるせえ! さっき、『はい』っつったろうが!」
「これ、執事じゃないー! ただの普段通りだー!」

泪さん。
やっぱり、執事には向き不向きがあるんだな、と思いました。
あまり多くを望まないこと。
それが愛情を長く保つ秘訣かな……
でも、マッサージはすごく上手でしたよ。

<END>